どんぐりころころ

きたかゆのブログです。胃が弱いです。

毒味師としての海外生活

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海外で生き始めるということは毒味をすることに等しい。そんな文章がどこかにあったようななかったようなというかはっきり言ってない。ただこれは事実だ。最近、一口味をたしなめるだけで毒っぽいのかどうかが分かるようになってきた。

恐ろしいことだが、違和感を感じて材料欄を見てみるとおどろおどろしい名前の成分表記に腰を抜かしそうになる。

オープンマインドになって色々挑戦して食べてみてよと言われるけど、一口トライしてやめる確率がここでは高すぎる。テンションが下がる。そんな負ける確率が高い賭けをたいしたリターンも得られる気もしないのに挑戦するのは合理的じゃない気がする。 オープンマインドになることと危なそうなものでも積極的に食べることはイコールではない。ニアイコールですらない。

上述の違和感は人間の本能か。 というか日本人としてとても食の安全が知らず知らずのうちに確保されていたところで生きたきたことがこの能力を開花させているんじゃないかなと思う。

それってたぶん法整備の問題で、よく言われるようにアメリカはわりと市場に任せて法規制をきつくすることはない、それがベンチャー企業の進展に大きく寄与する部分もある。それがもてはやされることもある。 ただ物事にはやはり、表裏一体あって、市場に任せすぎることによって安全の部分がないがしろにされることもあるのだろう。食の部分では大きくそれを感じる。それは肥満率の高さや街行く人たちの補助車率の高さとか見ても結構大きく感じ取れる。オーガニック最先端のこの街ですらだ。

その点、日本は安全だ。ある意味管理された体制のもとで物事がなされるからなのだろうか。

たしかに市場に任せることで、マクドナルドなんかは日本では人気に陰りがあるように見える。身体に悪いものだからやめとこうってことだろうし、それ以上の選択肢が出始め、自然淘汰される。みんな健康でいる方がハッピーだから当然だ。ただ日本市場ではそうだけど、海外ではしっかり稼いでたりする。(一応日本も。

まあもし海外で稼いでなかったとしても、いずれにせよ自然淘汰には時間がかかる。その間に犠牲になる人は市場の犠牲なのだろうか。

ただ犠牲って言ってもちょっと身体に悪いものを食べただけで、それ以外の健康への害になる要因もいっぱいあるでしょ論やそもそもいずれ人は死ぬからそんな大げさに色々言わなくて論、FDAはもっとしっかりやってて大丈夫だよ論なんかもあるだろう。

いずれにせよ、そういう食べ物を食べないという選択肢もあるうえで、それを食べているのだからいいという考えもできる気もしてくる。金銭的制約でそういうものを食べるしかない場合でも、そういうものがなければ食べるという選択肢もなくなってくる可能性もあるので、なんとも言えない。

僕は自分の身体が直感的にやばいと思ったものは食べたくない。