人にはいろいろな事情がある
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齢が四半世紀に近くなってくると背負うものも小僧なりにも増えてくる。
とても田舎のとても低レイヤーで育ったぼくが都会に出てそれなりの大学に入ったがゆえに田舎に帰るととてつもない眼差しで見てくる親や友人たちがいる。
そういうプレッシャーと自分の出来なさっぷりの間でなんともいえない気持ちになっている年末年始であった。
そうは言っても人間生きなくちゃいけないわけで前向きになにかにぶつかっていっている。
昔、ネットで見かけたニートの親父の話で(探しても分からなかったのでurl知っている人いたら教えてください)
どうすればいいか分からなくて、悩んでもどっちの道が正しいか分からないときがある。
そういう時は自分の直感に任せてとりあえずどちらかの道に進んでみる。その道を選んだからには全力で突っ走ること。 そうすればその道が間違っていたと気付いたときにももう一方の道を一からでも戻ってやり直せるほどの走力がついていて、そっちの道に行ってる普通の人たちをゴボウ抜きにできる。
みたいな話があった。
すごい良いこと言ってるんだけどその話をしているのは無職。みたいなそういう滑稽な話だった。
その話がそれ以来ずっと自分の中に刺さっていて、今色んな道が広がっているけどとりあえず自分は可能性を開く努力をしようと思っているし、そのチャンスが得られたときには全力で突っ走っているつもりだ。
で、全力で突っ走っているんだけど、それでも失敗はしてしまう。そんでもってとてつもない迷惑をかけてしまったというわけで。そこに出来ない自分に対する悲しみと良くしてもらっている人たちに対しての申し訳無さ(実質、こちらが9割くらい)などがこみ上げていた。
本当に自分は最大限の結果を残すための努力をしたのかなとかなにかと悔いることになった。
そういう思いが募り募って、自然と今まで使っていたサービスなどから離れていた。そうすることでどうなるわけでもないが、とにかく離れていた。
それが今日ふとまた何の気なしに触りたい気持ちになって、テキストエディタを開いた。そのときにはこういうことを書くつもりでもなかった。なにも考えず自分の気持ちを文字に落とす。それだけでなにか区切りというかリセットみたいなものになるのも不思議だ。
こんな文章を残してなにになるのだという話だが、それでもここに記したくなったから書いておく。
こうやって背負っていくことが生きるってことなのかもなあなんて思ったり。