まわるまわる社会
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ある晩のできごと
それは突然のできごとだった。アップルのイベントの翌日で、睡眠不足だったぼくは夕方にはすっかり生産性が落ちていて、コードを書く元気は皆無だった。
ネットを徘徊して情報収集(怠惰)をしていたときにMacに父親からLINE電話がかかってきた。(すごい時代になったものだ)
父「よお、何しとるんだ最近」
ぼく「プログラムを書き続けとるわー」
父「そうか、まあよお分からんけど。中三の家庭教師しに帰ってこんか?」
ぼく「え!?」
ぼくの家の事情(息子がそこそこ有名な大学に通っている)を知っている知人から家庭教師を頼まれたらしい。
聞けば勉学の面で相当にどうしようもない状態で、困っているらしい。
とにかくスケジュールを合わせ、受けてみることにした。
ぼく自身、職にありつけずに困っていたが、二つ返事で了承した。とりあえず依頼されたなら受けてみるっていうのがわりとクセになっている。頼まれたなら嬉しいというところがあるからだ。
冷静になって昔を振り返ってみた
ぼくは今でこそ「そこそこの大学」に通っているが、昔は全然勉強できなかった。勉強できないことを何とも思っていなかったし、やりたいとも思っていなかった。
だからと言って、なにか別のことに力を入れていたわけではなかった。どうしようもないやつだった。(今は多少は改善してるかな笑)
しかし、ある男の人と出会って、ぼくは真面目に勉強を始めた。 それは、勉強を言われたからやっているんじゃなくて、将来のビジョンを実現するために手段として勉強をしていた彼を見たからだった。
大人になって世界が広がって、そういう将来に向けて頑張っている人は少なからず見るようになったが、彼ほどひたむきに真っすぐ努力していた人はいなかった。
そういう考え方をぼくに与えてくれた彼には心の底から敬意と感謝を持っている。
その当時のぼくはそこまでハッキリと彼の魅力を言語化できていなかったけど、単純にかっこいいと思ったし、そのマネをしはじめた。
マネをし始めたら知ることの楽しさを知った。意外と面白いじゃんこれ。となり、その受験ゲームにハマッていた。
彼と出会わなかったらと思うとぞっとするくらいだ。
同じようになにか与えられるのかもしれない
そうやってぼくは周りの人にうまく道を歩かせてもらって生きてきたように思う。それは彼のインパクトだけでなく、他の人にも正しい方向に向かわせてもらえたと思うし、今すごい感謝している。
そこで今回の案件を考えてみた。
今おそらくこの子はすごい困っているか、もしくはまったく逆で特に何も考えず困っていないかもしれない。
ただぼくがここでなにかを与えられるかもしれない。昔ぼくが与えられたように今度はぼくがこの子に与えられるものがあるかもしれない。
ぼくがここでこの案件を受けないと全然違う方向に行ってしまうかもしれない。
そのためにぼくは今回の案件を真面目に本気で取り組みたいと思っている。 それはこの子のためでもあるけど、ぼくのためでもある。
「受けた恩は同じ人に返すんじゃなくて、また別の誰かに返してあげる。それを繰り返して社会が繋がっていく」という考え方がすごい素敵だと思うし、好きだ。
恩をもらってそのままその人に返すのはなんか契約のようであまり好きではない。恩を受けた感謝は大事だけど、それを返すだけでは二人の間の話だけど、それをまた別の人に返すとそれは社会的になってくる。
大げさかもしれないけど、ぼくは受けた恩をまた別の誰かに渡せたらいいなと思っている。