おねだん以上のなにか
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おねだん以上と言えば、まあニトリなんかが思い浮かぶわけで、最近ニトリの社長についてネット上では少し話題になっていました。冒頭で触れるからにはそうか、おねだん以上のコスパのいいなにかを紹介してくれるのかって思った方もいると思うんですが、今回はちがいます。なのでニトリは隣の青い芝生にでも置いておきます。そういえばニトリの工場で働いてたこともあったなあおいらなんて昔に想いをはせそうになってはよその手にあるニトリを置けってかんじです。
はいはい、さて本題にいくとですね。物の価値は、世の中一般ではお金で示すことが一番手軽なものなんですね。まあそれはお金でも貝でも米でも金でもなんでもいいんですけど、みんなが使えるもので、みんなが価値があるものと認めているものが物を代替して価値を表現しているわけです。
そんでもって僕達はamazonなんかで物を探すわけですね。あーこれ高いなあでもバキュームする機能がついているからほらそりゃ当然だな(TENGA
なんてなるわけですが、そんでもってネットが発達した今、もう一物一価は当然のように世の中にありおりはべりいまそかりって感じで成立しています。
私が買ったカシューナッツは1400円で、それは食べることによってその1400円分の効用を得るわけです。とてもおいしいし、幸せです。
一方、ぼくはこの間、親とLINEで少し話していたんですね。あまり仲が良いとも言えないんでなるべくオンラインでくらい話そうとして聞いてあげたりしている最近です。
そんでもって、おかんがゆうわけです。
「年寄りなんだから心配してね」
おかんはおかんで文字の上でhttp通信を通したおかげで照れなんかもなくこういうことを強がりもせず言ってくるようになりました。
ああーぼくは「親として子に気遣うという愛情を注ぐこと」っていう理解はあっても、親として子どもから気を遣ってもらいたい、愛情をもらいたいっていう親の像はあんまり理解してなかったなと。
でぼくは言うわけですね。
「せやな、とりあえず健康的なもの食べてたらええんちゃう。トマトジュースとかてきとーに買ってな」
と他人事のように言うわけです。そこで我がことのように心配してるよって発言をする人もいると思うんですけどね、まあそんなに素直じゃないんですよね。かわいくないですねー。
でもぼくは日頃から照れて言葉にできないかわりに行動で移そうと思ってるんですね。少し離れた実家に向けてトマトジュースをamazonでポチることにしたわけです。まあ滅多に親に贈り物なんてしないんですよ、ええ素直じゃないですからね。
そんでもって2500円のトマトジュースセットを送るわけです。カゴメさんありがとう。
僕なりの愛情とともに送ったわけです。ああ、曲がった心を持つ自分でもカゴメさんのおかげで少しくらいは気遣える人間になるわけです。
そんでもって、おかんから後日ラインが届くんですよ。「トマトジュースが届いたよ」って。すごい嬉しそうに届くんですよね。ぼくは
「へー!ラッキーやなあ」
なんて言うわけです。
はい、カット!ここですここ、ここ!!
もしおかんがああ健康に気遣わなあかんなあなんて思ってトマトジュースを2500円でジャパンで買ったとしましょう。それは健康を気遣うためだけに買ったまあ普通の2500円です。
でもぼくが買ってあげたトマトジュースがおかんに届くことでもうこれは2500円なんかでは買えないなにかに変わっているわけですよね。まさに「おねだん以上」これですよ。
なにかを送るってのはこういうことだと思うんですよね。
こういうケース以外にもみなさんの中でもこの「おねだん以上」は心あたりがあると思うんですよね。ただこのおねだん以上ぼくはまだその名前を知らないんでとりあえずは
愛
とでも名づけておきましょうかね。