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どんぐりころころ

きたかゆのブログです。胃が弱いです。

中国人の取り扱い説明書そろそろつくろう。

人がせっかく幸せのパンを見てだね、心がなんかとてもニュートラルな状態になっていたときに限って悲しいことは起こる。中国人とはなにかという話をしたい。彼らがなぜこれほどまでにSELFI◯HでGR◯EDYなのかというお話だ。これはもはやほんとどうしようもない話だ。もうこれは半分愚痴というか全部愚痴。

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もはやここまで来るとなんでなのかなということで探してみたんですけど、上の記事がとても面白かった。 これこんな風にこいつら考えてるだろうなあってことが網羅してあって、マグロの握りのたとえなんてとても良くて、これの何が良いかって言うとめちゃくちゃ言って終わるかと思ったらもはやなぜか逆ギレしてるんですよね。え、ちょっとまってこれ超めんどくさい女よりたちわるいんじゃねえのかななんて思って見てました。ちなみに僕の知ってる中国人は、1時間に真横でなんにも気を使わずにゲップしまくるやつやら、人の話を聞いてるときにスマホを使い出し、注意されるとあげくにはキレだすという謎の言動を繰り返している人たちだし、こういう人たちの話だ。

たぶんなんですけど、中国ってしたたかさみたいなものが優秀だと思っていて、いかに人を騙して富を奪うかみたいなことを考えていると思うんですよね。例えば、寄付の文化とかもなんていうか寛大だなとか税金対策だろとか偽善でそれがPRになるからとか冷静に考えてる俺かっけーみたいな2chで叩かれそうな考え方してるんすよね。寄付とかってそれもあるかもしれないんですけど、単純に人間愛の場合もあるし、貧困のための寄付とかだと貧困で教育が受けられない子どもたち、その中に未来のエジソンがいたけど、機会がなかったことでそいつがなにか人類全体にとって役に立つものを作れなかったとしたら人類(自分も含む)にとって機会損失超でかいし、わりとそういうことはありそう。結局どんだけ天才を効率よく回していけるかみたいなのが人類の飛躍的発達に大事だと思うんですけどね。で、あと経済的に余裕が出てきだすと争いとかもなくなって生きやすくなる。そういうことを考えたらリターン超高い投資とも言えるんじゃないかと思うんですよね、寄付って。まあそんなこと考えていないんだろうし、考えていたとしても、それ俺がやる必要ある?とか思ってそう。(これは主観だ)

ここで中国人だってそんな人ばっかじゃないよー人種で判断しちゃだめだめっていうもう超どうでもいいこと言ってくるやついるんだけど、それはもういいから。というのもすべてのことには例外があるということの当たり前のことをリピートしているだけだからだ。たとえば「日本人は英語喋れない。」これはわりと一般的に通用する話でしょ?でもそりゃ海外留学行って頑張って習得した人もいれば、帰国子女だっている。そりゃ当たり前の話だ。でもそれってめちゃくちゃ少数で、基本的には英語喋れないんだよって話だ。中国人のパーソナリティにも同じようなことが言える。その代わり、まともな中国人は好きだ。基本的には、価値観とかも似てるしね、儒教とかで。

さてそんなわけで、でもそういう奇々怪々な言動を繰り出す中国人。でもさ、そこでなんかこいつらもう勘弁〜って逃げてる人たちがほとんどで、でもなんか中国人の取り扱い説明書みたいなものがあればさ、なんか面白く無いっすか。なんかどうしようもないやつらだけど、こうやって扱ってねみたいな、血液型ごとの取り扱い説明書みたいなの流行ったじゃないすか、あんな感じで。「ニーハオって言い過ぎるとばかにされてると思って怒る」だとか「安心できるようになるべく餃子を近くに置いてあげて」まあこれは完全にだめな例なんですけど。

でもなんかこいつらどうしようもねえなあなんてかわいがられる方向で共存出来る可能性もあるんじゃないかなあなんて思ったり、でも貪欲さや自己中って愛されねえからなあ、なかなか難しい。GDP成長率が7%(たぶん嘘)と高成長を見せる中国が台頭しつつある現代社会で、中国にどう経済的に政治的にやりあっていくのかが喫緊の課題となっているのはすでに知られていることだけど、なんていうか、考え方としては、あいつらをどう愛していけるのかみたいな方がもっと喫緊の課題なんじゃないでしょうか。

なにいろのなに

幸せのパンという映画を見た。

2つが1つで、1つが2つ。ずっと前から思っていたけど、なかなか言語化できないことがある。僕らは少しずつ色んな人から影響を受けていて、日々変わっている気がする。そしてたまに根底にあるものだというものが覆るときすらある。人はそれを若さと呼ぶかもしれない。それは年を重ねていくことで起こらないようになるらしいけど。でも僕はなんか違った風に思えていて、その覆るっていうのはそんなすぐさまにこれがあったからこうなったとかじゃなくて、もっとこうなんていうかな自然と蝕んでいくというか、徐々に広がっていって気付いたらあれさっきまで表だったものが裏になっているというなんかクイズ番組なんかで絵が知らない間に変わっていて、ずっと見ているのにどこが変わったか分からない、でも変わったところに気付くともう気づかずにはいられないくらいの変化になっているあれに近い気がする。 そんなわけで、そういう風に影響を受けているんだけど、そしてその変化に気付いたあとにあれれすっかりこの人色に染まってしまったなと思ってるんですけど、ちなみにこれは男女間のみの話じゃないからね。 まあそんな風に色に染まったと思ってるんですけど、他方から聞いてみるとこっち色に染まってしまったよわたしはって言われることが往々にしてある。ありゃどういうことだ。なんかその人と自分の間に中間物がないと成立しないような話になってきたなと。こういう現象があってこれはとても謎だ。ぼくは相手の色になり、相手は僕の色になっている、それが同時に成立するのか。その色の部分が違えばこれは同時に成立し得るけど、そうでもないのだ。さて僕らは何の色に近づいていっているのか。