思い出して「うわー」ってなってしまうおはなし
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ぼくはときどき1人でいるときなんかにうわーって頭を抱えたくなることがよくあります。まあさほど深刻ではないのでそのまま聞いてください。
人生それなりに社会と関わりを持ちながら生きていればですね、そりゃー失敗のひとつやふたつ、みっつやよっつ、いつつやむっつなどポンポンします。
例えばですね、ガキの頃に弟と喧嘩してボコボコにしてしまったことや発表で大失敗してしまったこと、お酒で失敗して粗相をしてしまったことやプロジェクトで全然役に立てなかったこと、気になるあの子にアタックして失敗したことなどまあそれはあげてみればキリがねえなあなんて思ったりします。
で、ぼくの人生失敗ばかりかというとそうでもないんですよね。自分なりにすごく頑張って結果を残したことの方が失敗した数より多いと思います。
しかし、「あーあの頃あんな成功したなー」なんて思い出すことはあんまりなかったりします。「あー中学生の頃、部活にあれだけ打ち込んでおいてよかったなー」なんて懐古することはほぼないです。
その代わり前述のように「うげーあんなことしてしまった。どうしてあんなことしてしまったんだ」と昔を思い出して、地団駄ふむことはぼちぼちあるのです。
で、自分がなぜそんなネガティブなことばっかり思い出すのかなと考えてみました。
単純に思い出すトリガーになるのは、別の要因(その記憶と関連のあるできごとやモノを見聞きするとか)かもしれませんけど、その記憶の滞在時間が失敗体験の方が大きいのはなにか理由があるからだろうってことです。
そんでもって、これってもしかして「究極のポジティブ」なのではと思い始めました。
簡単に言えば「まだ終わっていないから思い出す」ということです。
自分の成功体験って成功しているってことはもうそこで終わっているんですよね。たとえば大会で優勝したとか、女の子とうまくいったとかってうまくいってるからそこで終わりなんです。そこから次へ続くわけではない。だから思い出す必要がないんです。
そんでもって逆に、失敗体験って「改善の余地」があるじゃないですか。で、そこをぼくは考えてしまうんですよね。あーあのときどうすればよかったのかなとかこうすればこうだったとか、なぜあーしてしまったのかその根本的な原因はなんだったのか
とかあれこれ考えるわけです。こういう理由からですね、たぶん未来につながる記憶ってのは失敗体験の方が多いんじゃないのかなって話です。で、それって究極のポジティブなんです。
とこんな感じに考えたわけですけど、どうでしょうかね。
自分の記憶の比って考えたことありますか?どっちの方が多くて、それってなんでですか?
ほんじゃ