文字が伝えるもの
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一般的に内情や詳しい事柄というものは「接触」によって伝えられるものだと考えられています。
例えば、人の性格とかは文字では伝わらなくて接触によって伝えられるものだとみなさん思ってるわけです。中身ってやっぱ会わないと分からないよねーっていうような感じです。
会う前のブログや著作を読んでいたときの文字情報から伝わってくるイメージと違うなんてざらに聞く話です。
でも接触によって内面が知れて、文字情報からでは内面をにわかにしか知ることができない。これって本当なのでしょうか。
おいらはこれ逆だと思うんですよね。
文字情報が真のその人の内面を表すものであって、接触によって知ることができるものが外面的なものなのではないのだろうかって思います。
どういうことかって言うとですね。
まず文字情報とは、その本人が本当に思っていることを知れるわけですよ。だってわざわざ文字情報で嘘をつきませんよね。ブログでわざわざ真意と逆の事を言う人なんてまれだと思います。
それに加え、文字情報での言葉遣いやら思考回路ってもうまんまその人の脳の中で作られたものを貼付けているものだと思うんですよね。脳内コピペっすよ。
なわけでその人の思考がだだ漏れなのが、文字情報です。そう考えると文字情報というものは無機質なものでもなんでもなく、もっと生々しいものなのです。
その一方で、接触というものは、生身での接触(変な意味ではないです)なわけですが、結局は対話になります。対話というものの性質上、リアルに反応が返ってきたり、その場の空気を読んだり(文字でも多少はある)しなければいけません。その性質上、他者に気を遣い、内面を100%吐露している人なんていないでしょう。
そう、その内面をインターネットでは色んな人が共有していて、それを見てあーこんなこともあるのか、など人生観を改める機会が大変多いです。
文字がネットを介していろんな人の内面を伝えていくことでネットユーザーが自己を省りみることができ、またネット上にそれを伝えていく。その循環が人の内面を改めていくことになるわけです。
こういう風に見ていくと、文字が伝えるものは外面的な情報ではなく、実は「内面」だったりするのです。