命の場所が残酷に支配する
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Facebookである記事が流れてきました。
まあ要するに「難病にかかっているかわいい小さな女の子が日本では手術が受けられないし、2億円ほどの高額の費用がかかります」ってやつです。
その記事には、ご丁寧に写真も添えつけてあって、みんなこれ見よがしにシェアをし、心の奥底になんとも言えない感情をもっているのでしょう。これを書いてる横でカフェで高校生カップルが乳もんだりしながら談笑してますが、彼らもまたその中の一人でしょう。
2億円もいるなんてすごい大変だなー募金してあげようって気になったり、募金はめんどくさいからしないけど少なくともシェアくらいはしてあげようってやつだったりします。まあたいていは後者です。
さて、わたしはなにが言いたいのかというと命の場所が残酷にも命の価値を決めたりするものなんだなってことです。
命の価値に多寡はない!!!なんて幼い頃にわたしも思っていましたし、いまだ思っています。
しかし、この難病の女の子だけが世界で困っているわけではなく、途上国の子どもたちもかくあるのです。
親に捨てられたりして饑餓でなくなっている子どもが世界にはたくさんいるのが現状です。
途上国では、約1,090万人の子どもが5歳の誕生日を迎える前に命を落とし、このうち6割は飢餓や栄養不良に関連した病気が原因とされています。
出典: The State of the World's Children, UNICEF, 2007
ユニセフ 世界子供白書2007「女性と子ども」|日本ユニセフ協会
(日本語)
引用元WFP
そしてこういった饑餓で苦しんでいる子どもたちに20円で2食分の十分な栄養があるおかゆがとどけられたりします。
ユニセフには募金や寄付でなにが貧困国の子どもになにをしてやれるかをわかりやすくまとめてあるページがあります。(募金・寄付でできること | 日本ユニセフ協会 )
2億円で一人の少女を助けるのか、2億円で1億人ほどの子どもを助けるのか。
それをみなさんは考えたことがあるのでしょうか。人の命の価値は定量的にはかり、比べられるものではないという議論もあるかもしれません。
そのような議論を別にして、ここでは完全に
1:100000000
という数字が現実にあることは確かなのです。ひぃ。
この数字についてみなさん考えたことがあるでしょうか?
これはさすがにどうなのって思ったりもするんですよね〜